家茂上洛中、泉涌寺へ参詣|2/3~2/19の上洛日記・第10回

京都ぶらり旅(泉涌寺)

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幕末の京都滞在中に書いた高田藩士の日記です。四条芝居見物・寺町、四条で買物・盃の購入、藩主の京都見物や将軍の京都巡覧などが記載されています。また「他行留」という将軍外出時の外出禁止令など面白いお触れ書きが出ていたようです。

虫食いや折り目などで判読できない文字は?となっています

訳に関しては、間違っている箇所を訂正、修正したりする場合があります

現代時刻との対応をわかりやすくするため、昼夜がほぼ等しい春分・秋分頃を基準として記載しています。実際の江戸時代の不定時法では、季節によって各時刻は変動します。

※本意訳は、原文の語句や表現を可能な限りそのまま反映しています。そのため、現在では使用されない、または一般的ではない表現が含まれる場合がありますが、原文の趣旨を尊重したものです。


幕末京都2月3日の火災

2月3日 快晴 朝市があった

道中の旅籠代(宿泊代金・川渡し賃など)の費用として金一両(約10万円)を受け取った

朝8時頃に供揃をして殿様は水野和泉守様のところに出向かれ、昼頃に戻られた。

朝8時過ぎ頃に、堀川・二条・千本通り付近で火事があった

伊庭八郎が書いた「征西日記」でも、2月3日 御室街道で火事があったと書いています。この著者は、「堀川・二条・千本通」で出火と書いてありますが、実際は天神通にあった家二軒が焼失とのことなので、実際は宿付近(因幡薬師の近く)から見た方向を書いたと考えられます。

2月4日 快晴 朝8時頃供揃をして殿様が登城され、14時頃お帰りになった。

10時頃から本国寺へ参詣した。

2月5日 雨 表門の当番に出た。


公方様が外出するので外出禁止令がでた

泉涌寺

2月6日 お触れの写し

明日7日

公方様は8時頃に供揃をして泉涌寺へ参詣されるので、卯の刻(朝5時頃)からお帰りになるまでの間外出を禁止する

ただし、病気の用事ややむを得ない事情があって外出したいときには、その事情を大老・中老に申し出て指示を受けること。

また、火の用心については特に注意して下人たちに厳重に申し付けること。支配下の者がいるときには、その者たちにも周知させること。

以上 大老・中老の指示によるものである

二月六日 夕方九ツ時過ぎ(御触書の発令日時)

泉涌寺は、歴代の天皇がお納め申し上げられてきたところである。

泉涌寺は歴代天皇の陵墓があるところで、家茂は2月7日に参詣しています。面白いのは、高田藩では将軍の外出時には「他行留」といった外出禁止の交通規制・警備体制をとっていたことが分かり興味深い箇所です。また、病気のときや、やむを得ない事情があるときにはその事情を大老と中老に相談することといった細かい事情に関してのお触れ書きまで出ていたことが面白いです。

こばん店長
こばん店長

火事については特に注意するように気を配っていたようだね~

国元に手紙を出した。

京都において、杉谷佐市は高田での公務のため呼び出されることになり、本日午前8時頃に出発した。

その際、渋紙に包んだものを用意した。

因幡薬師前

2月8日 快晴 朝市があった。八日薬師の縁日なので参詣した。

夜店が非常に多く出ていて大変な賑わいだった。

金三両(約30万円)。この金額を宛飼(手当・給与・旅費など)として支給された。

2月9日 天気 午後から四条の芝居見物に行った。

2月10日 快晴 朝市があった。午後から四条通、二条通、寺町通を歩き回り、さまざまな買い物をした。

2月11日 晴天


将軍、金地院・知恩院・本願寺へ

2月12日 晴天 前日に回覧された御触れの写し

公方様は8時頃に供を揃えて出発し、金地院・知恩院・本願寺へ赴かれるとのこと。そのためその間は外出禁止が命じられた。

13日 雨 松原通の清水下あたりでいろいろな盃を買い求めた。

14日 11日に、原田権之進様の配下 松本庄之助と伊藤彦右衛門の両名に謹慎処分が命じられた。

14日 雨 公方様が10時頃 供揃をして御所へ参内されるとのこと。

お帰りになるまで外出禁止との触れ書きが出された。

15日 天気 殿様が8時頃供揃をして登城され14時頃お戻りになった。

表門の当番を勤めた。


殿様は北野天満宮・平野社・金閣寺へ

2月16日 天気 殿様が正午頃に供揃をして参内し、その後北野天満宮、平野社、金閣寺へ出向かれた。夕方にお戻りになった。

国元へ手紙を出した。

村上市蔵様の配下 岩佐喜太郎、小田鉄太郎の両名に謹慎処分が命じられる見込みである。

この殿様というのは高田藩主の榊原政敬のことで、参内を終えてから北野天満宮、平野社、金閣寺へ参詣しています。北野天満宮は菅原道真を祀る全国天満宮の総本社で2月~3月にかけて梅の名所としても人気のスポットです。

平野社は京都屈指の桜の名所として知られていて3月の中旬くらいから多くの参拝客で賑わいます。文久4年2月16日は西暦にすると1864年3月23日なので、殿様はほんのひととき桜を眺めていたのかもしれません。

金閣寺は室町幕府3代将軍 足利義満が建てた禅寺で京都を代表する観光名所です。京都で金閣寺を外せないのは江戸時代から変わっていないと分かる箇所です。

2月17日 天気 朝8時頃 竹田十左衛門様が到着された。ただし北国廻り。

殿様からのお召しによる公務のためだという噂があった。

10時頃から四条に芝居見物に行った。

四条通

18日 天気 金壱分一朱と銭二十三文(約3万2千円)

これは京都滞在中の日割りの支給額として支給されたもので、正月分は1日につき七分ずつ支給された。

19日 天気 本堂前の当番勤務

一分 2万5000円

七分 17万5000円

次回は、2月20日からです。まだまだ京都編が続きます。