上越市といえば、上杉謙信の生誕地(春日山城)として有名ですが、実は他にも諏訪の神様、建御名方命(諏訪大社御祭神)の生誕地、岩殿山明静院があります。
明静院は、父である大国主命と母である奴奈川姫がこの地で生活をしていて、建御名方命が生まれた場所である、といわれています。
また、江戸時代になると徳川家康の息子である松平忠輝であったり、越後騒動の松平光長がいたり、高尾太夫を身受けした榊原政岑がいたりと個性の強い殿様がたくさんいたところです。
神代の時代から幕末まで上越市には興味深い歴史がたくさんあるのでそれをゆるく語っていこうと思っております。
私が中学の頃の歴史のテストで、鎌倉幕府ができたのは何年か?という問題がありました。
当時の正解は1192年でした。今は1185年になっているらしいです。(これも諸説あります)
そして源頼朝の肖像画といわれていたものが今は伝源頼朝像になりました。
足利尊氏にしても今では騎馬武者像とされています。(誰?)このように歴史というのは時が経つといろいろな研究が進み当時とは全く違った答えにたどりつくといったことが繰り返されています。
従って今信じているものが何年か経つと違うということが十分考えられるものです。
源氏物語など千年も前に書かれたものなのに、恋愛や権力といった人間の欲望というものはたいして変わっていないように感じます。
源氏物語には、六条御息所という身分がかなり高く教養もある女性が登場するのですが、光源氏を愛するあまり正妻を呪い殺してしまいます。そんなことができるのか?!という問題ではなく、千年経った今でも人間というものは教養があっても品があったとしても嫉妬心は変わらないのだな、と感心してしまいます。
千年の時を経ても読まれている凄さ、まさに大ベストセラー作家です。しかし本当に紫式部が書いたものなのでしょうか?これも諸説あるそうで、近い将来に別人が書いた物語であるといった発表があるかもしれません。
数学と違い歴史や国語は答えがコロコロ変わるものです。
たとえば、学校のテストですが、小説の問題で作者はこのとき何を思っていたのでしょうか?とか主人公の心情を答えよ、などその小説を書いた作者が答え合わせをして間違えるといった矛盾が多くあるらしいのです。
したがって当ブログに書かれていることは将来的に間違っている、もしくは書いている時点であっても間違っている可能性が高いものです。そのことを十分に理解したうえで穏やかな気持ちで読んでいただければ幸甚でございます。
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