この記事には広告を含む場合があります。
記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
平安時代の美人の条件は、顔はおしろいを塗って真っ白、丸顔・丸いあごが良いとされ、少々小太り、鼻は小さくてかぎ鼻、目は切れ長で口はおちょぼ口、髪は黒くて長いほど美人とされていました。
それは美人なの?・・
うん、平安美人
眉毛はすべて抜いて、顔の高い位置に大きな丸の眉毛を二つかいて、歯には真っ黒なお歯黒を塗っていたので素顔は分からなかったといわれています。
顔は色白でふっくらとしていること、顔を真っ白に塗るお化粧をしていましたが、今のようにファンデーションはないので白い粉が顔から落ちていたようです。それを扇で隠していたといわれています。
また、笑ったり泣いたりすると顔から白い粉が落ちてきてしまうのでできる限り無表情であったといわれています。
動き回ると品がないとされ、立って歩くとお化粧が崩れたり優雅に見えないのであまり動かなかったようで、移動するときは座りながら横に移動をしていたともいわれています。
高貴なお姫さまは屋敷の中で生活をしており、しかもほとんど動かず日の光を浴びて過ごすということも少なかったようです。
高貴な女性は部屋の中では座りっぱなしでいたといわれ、動くときには上品に膝で歩いていたといわれており、上品に過ごすというのはなかなか大変だったようです。
平安時代は朝起きるとお化粧等の身支度が始まります。現代でも素顔をみられるのを防ぐべく努力する方もいるので時代は違いますが同じ努力をしていました。
現代とあまり変わりませんが、手や顔を洗って口の洗浄(口をゆすいだ)のあと、顔を白く塗り、口紅を塗り、眉毛を抜いたり描いたりしていました。それから髪をとかして服にお香を焚きしめたりするので時間がかかりました。
平安時代には毎日お風呂に入る習慣はなく、陰陽道で決められた日に沐浴をしていました。だいたい5日~7日に1回という少なさだったようです。
当時のお風呂は湯船につかるのではなく、湯帷子を着て 蒸し風呂(サウナ)に入って浮き出た汚れなどをふき取るスタイルでした。体を洗うときには米ぬかや、小豆を粉末状にしたものを使用して汚れを落としていたようです。
また、貴族の屋敷の中には湯殿とよばれる浴室として使っていた場所があり、そこで盥(たらい)にお湯を入れて体をふいたり着物(湯帷子)の上からお湯をかけるなどの入浴方法でした。
平安時代の女性貴族は髪を洗うのに1日かかった
当時はシャンプーもドライヤーもなかったので、髪の毛を洗うのも乾かすのも大仕事でした。シャンプーは米のとぎ汁を使い洗っていました。
また、洗ったあとで長い髪の毛を乾かすのに大変な時間がかかりました。火鉢を使用したり、布を使用したりしたようですが、ほぼ自然乾燥という手段でしたので何人かで協力して髪を洗ったり乾かしたりしていたようです。
夏でも毎日お風呂に入らないの?匂いとか・・・・
当時は お香を用いていたみたいよ
お香~
平安時代の貴族は独自で好みの香りを調合していたのでその香りで誰がいるのか、また誰がその場所にいたのかが分かったといわれています。
沈香や白檀、丁子、麝香(じゃこう)、鬱金(うこん)などの香料を調合して薫物をつくっていました。
・・・ここまで努力しても、外見だけでは美人とはいわれません
当時の女性貴族は和歌や習字、お琴なんかを習ったんだよ~
なんで?
平安時代は、顔だけで判断されていたわけではなく、当時の女性にとって和歌や習字、琴などは重要な教養とされていました。
貴族の女性たちは家から出ることは稀で父親や夫以外には顔を見せなかったといわれています。
男性も女性も直接見たことも 会ったこともない相手に手紙を送るのですが、その書いた文字(筆跡)や和歌の内容、紙の色や香りなど 全ての情報で相手の人柄を判断していました。
ですから、字が下手だったり、和歌のセンスが悪いと興味を持たれない時代だったのです。
代筆とかは駄目なの?
両親が娘の代わりに和歌を書いていたこともあったみたいだよ
まとめ
平安時代の貴族たちは顔をみて相手を判断していたわけではなく(というより見られませんでした)、人の噂で評判が良いとされる女性や、女性の住む屋敷を覗いて垣間見えたその雰囲気が美しいと文を渡すというところから始まります。
教養や人柄、字の上手さ、歌のセンス、十二単の重ね方、和歌の上手さ、また選ぶ紙のセンス、お香など全ての情報から相手を判断していたのです。屋敷の中で演奏することもあり、楽器(琴や琵琶)ができることも教養のひとつでした。
このセンス全て揃って美人とされていたので、平安時代の美人というのは現代よりも厳しい基準だったのかもしれません。
以上ゆる~く平安時代の美人について語りました
なんとなく ゆるく分かった