佐渡から運ばれた金と銀の道、旅する北国街道・高田宿編(新潟県上越市)

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北国街道とは中山道の追分宿(長野県軽井沢町)から高田宿(新潟県上越市)の間のことをいい、五街道に次ぐ重要な街道でした。その後、佐渡から金銀を運ぶための重要な街道として北国街道が延長され、出雲崎から追分までを北国街道と呼ぶようになったとされています。

  

    


北国街道・高田城下の南の出入り口

  

さて、江戸時代には高田城下の南の出入り口に伊勢町口留番所(くちどめばんしょ)がありました。口留番所とは関所のようなもので、城下に出入りする旅人や物資の検査を取り締まったり租税を徴収したりしていたところです。(*道路工事のために元の場所から北西30m移動)北の出入り口 陀羅尼町(北本町)もありました。

  

伊勢町口留番所跡

 

伊勢町口留番所跡 新潟県上越市南本町1丁目

      


北国街道高田宿の雁木とは

      

高田宿の雁木

  

北国街道高田宿には、歩道に雪国特有の雁木通りとよばれるものがあります。雁木は主屋から張り出ている庇のことで、この下を大雪時でも往来することができる通路の事をいいます。この庇の下の通路は私有地であって公道ではなく、住民の方々の助け合いの精神で私有地に庇をかけて通行する人を守ってくださる私たちにとっては大変ありがたいものです。高田宿にお越しの際にはぜひこの雁木を通ってみてください。

  


高田宿・春日町(南本町3丁目)

  

最賢寺

伊勢町(南本町)の口留番所を通り過ぎ、北国街道を北上し左折すると最賢寺があります。こちらが大谷大学名誉教授 金子大榮の生家です。

  

最賢寺の大いちょう

    

最賢寺 新潟県上越市南本町3ー4-18 

  


正輪寺

そして、最賢寺から250mほど西に進んで行くと、道路を挟んで反対側に正輪寺入口があります。

    

正輪寺の入口

      

こちらに松尾芭蕉の句碑があり、新潟県内にある芭蕉の句碑の中で最も古いといわれています。

         

松尾芭蕉の句碑

  

        

松尾芭蕉の句碑の説明板

    

正輪寺 新潟県上越市南本町3-10-12    


佐渡金山から運ばれた金と銀の通り道、高田の御金蔵はここ

    

先ほどの正輪寺を出て北国街道に戻ります。

  

正輪寺から道路を挟んで反対側にあるところが、高田の御金蔵があったところ、とされている場所です。

   

高田宿のお御金蔵

   

御金蔵 新潟県上越市南本町3丁目辺り(高橋孫左衛門のお店の斜め向かい辺りといわれています)

  

アダム
アダム

金や銀が落ちていないかな

    

こばん店長
こばん店長

警備を厳重にしていて、高田城下では64名の町人の方が夜警をしていたみたいだから絶対に落ちていないと思うよ~

   

佐渡金山から出雲崎に運ばれ、春と秋の2回 11日かけて江戸の御金蔵へ運ばれました。(1751年に起きた宝暦の地震により三国街道を使用した以外は北国街道で運ばれたそうです)この街道では 柏崎の鉢崎、高田城下、信州野尻の3か所しか御金蔵はなかったといわれています。

   

江戸に運ばれた金、銀は金座、銀座で小判に鋳造されました

  


高橋孫左衛門の飴

    

正輪寺入口から西に向かって100mほど歩いてくると高橋孫左衛門の飴屋さんのお店が見えてくると思います。

    

東海道中膝栗毛の著者、十返舎一九が訪れたことで知られている寛永年間創業の老舗飴店です。

    

高橋孫左衛門のお店

  

高橋孫左衛門 新潟県上越市南本町3丁目7-2  


時の鐘・瑞泉寺

  

高橋孫左衛門から北国街道を西に進むと、信号があるので左折すると瑞泉寺があります。(少し北国街道から外れます)

  

瑞泉寺の時の鐘

  

瑞泉寺 新潟県上越市南本町3-9-13

   

時の鐘は高田藩主 松平光長の母勝子(将軍 徳川秀忠の娘)が鋳造させたものと伝わっています。明治7年に瑞泉寺が火災にあい、鐘楼と梵鐘も被災してしまったところ、時の鐘を譲りうけ再建することができたといわれています。

     

もとは本町 吉田七兵衛の屋敷にあったもので、一時(2時間)ごとに鳴らして時を知らせ、その音は海上まで届いていたといわれています。本町の吉田七兵衛の屋敷については後述します。  


高田宿・御本陣、脇本陣

    

北国街道の本町通りを北に進みます。

     

ところで、高田の本陣、脇本陣の正確な場所は分かっていないようですが、本陣が下小町(本町6丁目)の加賀屋、脇本陣が茶町(本町2丁目)の三国屋といわれているようです。

  

本陣 勅使、公家、大名などが宿泊、休息ができる一番格式の高い施設のこと

  

脇本陣 本陣の予備的な施設で、参勤交代時の混み合った場合に本陣だけでは足りない場合に利用された

    

御本陣・加賀屋与七郎、脇本陣・三国屋八郎右衛門

  

ある資料には茶町の辺りに御本陣の加賀屋の記述があるものがあって、(著作権の関係で直接資料を載せることはできないので、資料を基につくったものです ↓ )このような感じになっていました。茶町御本陣 加賀屋与七郎脇本陣 三国屋八郎右衛門下小町に旅館 つぼや太左衛門

    

しかし、本陣の加賀屋与七郎は下小町(本町6)にあったとの「高田市史」以来の情報があるそうなので本当の場所は不明です

  

本陣、脇本陣の地図

         

茶町は立(竪)春日町(現在の本町1丁目)と呉服町の間(若葉園・上越市本町2丁目5-9~小川紙店・上越市本町2丁目4-8)辺りだと思われます。(ざっくりいうと上越市本町2丁目辺りにあったらしいということしか分かりません)

   

↓ 茶町の辺り ここら辺に脇本陣 三国屋八郎右衛門がありました。(正確な場所は分かっていません)

  

茶町があった場所

      

脇本陣 若葉園・上越市本町2丁目5-9~小川紙店・上越市本町2丁目4-8の辺り

  

こちらの小川紙店さんの御先祖の方は上杉謙信の家臣の方で、上杉家が会津に転封になった際にこの地に残ったとのことで、いろいろ面白い歴史があるようです。そのお話は小川紙店さんの公式HPにあるのでぜひご覧になってください。

  

下小町の旅館つぼや太左衛門は、現在の「高田館」のビルの場所のようです。

  

  

旅館 つぼや太左衛門 新潟県上越市本町6丁目1 高田館ビル 


時の鐘、もとはここにあった

       

お馬出しの辻と呼ばれており、江戸時代はお城の玄関口として最も賑わいのある場所だったといわれています。

  

お馬出しの辻の地図

    

そして、この辻には四家の大きな屋敷があり、現在の大杉屋惣兵衛お馬出し店は森家があったところで、その斜め向かいにあるのが吉田家で、「時の鐘」があった場所です。

   

吉田家があったところ

   

時の鐘(吉田家) 新潟県上越市大町2丁目1-5

  

大杉屋惣兵衛 お馬出し店 新潟県上越市本町3丁目3-7

        

アダム
アダム

ここで鐘が鳴っていたんだね~

     

  

こばん店長
こばん店長

ここから鐘の音色が海まで届いたなんてスゴイ・・

   


榊神社

     

  

榊神社 新潟県上越市大手町4-12

    

徳川四天王の一人 藩祖 榊原康政を祀っています。廃城令によって取り壊された高田城の城門の一部をつかって、旧高田藩士達が広く領民から寄附を募り建立されました。

      

御祭神 

榊原康政(藩祖)

  

榊原忠次(3代)日光東照宮の創建に貢献しました 3代将軍徳川家光の上洛時に供奉

  

榊原政令(11代)榊原藩の中興の祖といわれた殿様で、身分を問わず優秀な人材を登用するなど藩政改革をしました(赤倉温泉開発・用水開削など)

  

榊原政敬(14代)高田藩 最後の藩主 第14代将軍徳川家茂上洛時に供奉 育英事業や福祉事業に力を注ぎました 

 


高田城

  

     

1614年に松平忠輝の居城として築城されました。父は徳川家康、母は側室の茶阿局です。 

現在は高田城址公園となっており、春は「三大夜桜の一つ」といわれ、夏は外堀を埋め尽くす見事な蓮が「東洋一」と称され、多くの人で賑わっています。

   

高田城三重櫓 新潟県上越市本城町6-1 

   


北国街道分岐点

  

北国街道高田宿の分岐点

    

北国街道分岐点 新潟県上越市本町7丁目の交差点 (セブン、大谷文具店近く)

  

ここが北国街道の分岐点で、左が加賀街道に続く道となっており、加賀藩が参勤交代の折にはこの道を通って江戸まで行っていました。加賀街道といっても北国街道(北陸道ともいっていた)であり、右に行っても左に行っても北国街道なので、高田では呼び分けるために、加賀へ行く道を加賀街道、出雲崎へ行く道を奥州道、長野へと向かう道を善光寺街道と呼んで呼び分けていたそうです。

  

そして右がその奥州道へ続く道となっていて、佐渡の御金荷は出雲崎で荷揚げされ、この道を通って高田城下まで運ばれてきました(石地、宮川、柏崎、鯨波、鉢崎(御金蔵)、柿崎、潟町、黒井、春日新田、高田城下)

     


加賀街道にある老舗味噌店・高野醤油味噌醸造店

   

   

高野醤油味噌店 新潟県上越市北本町1丁目3-18  

     

1844年創業で、高田藩 榊原家に味噌・醤油を納めていたといわれ、添加物を一切使用していない天然醸造の味噌を味わうことができます。

店舗、主屋、土蔵、作業場が国の登録有形文化財に指定されており、内部見学もできるそうですが、予約が必要なので、詳しくは高野醤油味噌店の公式HPをご覧ください。

 


加賀街道にある松並木

     

      

昭和10年頃には100本以上の松が残っていたそうですが、現在はわずか20数本しか残っていません。こちらの加賀街道は正式には北国街道といい、加賀藩の殿様や北陸の大名もこの街道を通り参勤交代をしていました。

    

松並木 新潟県上越市加賀町9-1

     


旧師団長官舎

    

  

旧師団長官舎 新潟県上越市大町2丁目3-30

    

陸軍第13師団の三代目師団長の長岡外史の邸宅として南城町に建築し、その後こちらの場所に移築されました。明治期の歴史的建築物で上越市の指定文化財となっています。現在は無料で中を見学することができ、食事(予約制)、カフェ(予約なしで大丈夫です)の利用もできます。

     


天崇寺

  

  

天崇寺 新潟県上越市寺町2丁目19

      

天宗寺には高田藩主であった松平光長の母で将軍徳川秀忠の三女である勝姫(高田姫)と高松宮寧子妃殿下(勝姫御息女)の御廟があります。

  


新撰組の斎藤一が謹慎していた惣持寺跡

  

        

1869年1月に会津藩士1742名は上越市高田にやってきました。この中に新撰組の斎藤一がいて、惣持寺で謹慎していたといわれています。 

  

惣持寺 新潟県上越市寺町1-7-22

           

会津藩士については、「あまり知られていない幕末秘話とは?!」から

    


青柳山 浄法寺

      

  

浄法寺 新潟県上越市寺町2丁目10-28 

    

浄法寺は徳川四天王 榊原家2代康勝の正室である古屋姫(加藤清正娘)によって開基し、榊原家の随伴寺院であり、歴代の御令室の霊が祀られています。

  

上野国青柳村に創立されましたが、榊原家の移封により、上越市高田に移りました。浄法寺の入り口には加藤清正像碑があり、清正は熱烈な日蓮宗の外護(げご)者として知られ、旗指物に「南無妙法蓮華経」と書かれています。ちなみにこちらのお寺では御朱印がいただけますが、予約が必要となります。

 


善導寺 小栗美作の墓所

   

  

こちらの善道寺の山門はまるで竜宮城のようなつくりといわれ、龍神の井戸もあります。

      

こちらには越後騒動の小栗美作の墓所があります。美作は身分を問わず能力のある優秀な人材を登用するなど改革をした人で知られています。地域区画整理や、新田の開発などの他、殖産興業につとめた結果高田藩の最盛期を築いたといわれています。また、地震が起きた際には米蔵を開けて いちはやく救済したことで領民たちには慕われていました。

   

善導寺 新潟県上越市寺町2-5-5

     


北国街道から少し離れてある歴史的建造物

     

郵便の父、前島記念館

  

    

日本の郵便の父といわれる前島密は新潟県上越市に生まれました。この記念館は密の生誕の地にあります。

  

前島記念館 新潟県上越市下池部1317-1

   


大きなポストがある家

     

  

同じく郵便に関する建物ですが、こちらのお宅には6メートルのポストがあり、「大きなポストの家」として知られています。家の中には郵便にまつわるものがたくさん置いてあり、ギャラリーとなっているそうです。

   

新潟県上越市大和3丁目 このページの一番上に書いた高田城下の南の出入り口からほど近い場所にあります。

  

こばん店長
こばん店長

以上、北国街道 高田宿でした~

  

北国街道高田宿の街道沿いにある老舗菓子店についてはこちらの『高尾ちゃんグルメ上越市おすすめ土産』からご覧ください。