高田藩士の道中記 北国街道・新井宿(新潟県妙高市)~江戸・その2

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高田藩士が幕末に書いた日記は、文久3年(1864年)12月に京に行くことになったところからはじまり、元治元年7月に高田(現 新潟県上越市)に帰って来るまでのことが書かれています。

14代将軍 徳川家茂に供奉し上洛した際の高田藩士の道中記で、当ブログでは、「ぼくの上洛日記」としています。

家茂が上洛するにあたり、徳川四天王である榊原家が御先登を勤めることになりました。

これは、榊原政敬に従い上洛したある高田藩士が書いた上洛日記です。


北国街道・新井宿(新潟県妙高市)の養老本舗 池田屋さん

新井宿とは北国街道 高田宿の次の宿で、現在の新潟県妙高市にありました。

新井宿 (写真左 東本願寺新井別院 新潟県妙高市下町5-3   写真中央 養老本舗 池田屋 新潟県妙高市下町4-12)

北国街道の新井宿

この養老本舗池田屋さんは、1852年に東本願寺の門前に創業されたので、この日記の高田藩士たちが旅をしたころには存在していたことになります。

ちなみにこちらのお店の代表銘菓は「養老」ですが、明治につくられたものとのことで、1864年にはまだありませんでした。


ぼくの上洛日記、旅のはじまりはこちらから

虫食いや折り目などで判読できない文字は?となっています

  

訳に関しては、間違っている箇所を訂正、修正したりする場合があります

  

時間に関しては江戸時代の時刻換算サイトを使用(不定時法)しています

こばん店長
こばん店長

翻刻文の縦書きを横書きにして訳しています


北国街道 新井宿 奈良屋方に宿泊

戌の上刻(午後6時頃)に荒井宿(新井宿)奈良屋方に宿泊した

アダム
アダム

高田を出発したのが12月5日の午後4時頃だから・・

こばん店長
こばん店長

荒井宿(新井)まで2時間くらいか~

現在の新潟県上越市(高田宿)を出発して、妙高市(新井宿)の宿場まで徒歩2時間で着いたようです。

九ツ時過ぎ(23時30分くらい)までに皆が揃った。

こばん店長
こばん店長

夜の11時30分にやっとみんなが揃ったんだね

アダム
アダム

みんなが揃って旅に出るんだ~


日記を書いた藩士の高田藩のメンバー

そのときの組合の割り当てはこの通り

物頭  

神岡市右衛門

高橋定治

牧野保之助

中川源兵衛

久米儀太郎

森?八五郎

山下藤市

星田三郎兵衛

酒井富蔵

小林作太郎

小島留蔵

米村武平治

石倉利喜蔵

森山源次郎

滝野岩次郎

村井逸八郎

赤井宇太吉

川合半蔵

赤井定八郎

〆19人

一、54人のうち、物主三人、葭井郡司、神岡市右衛門、島田助三郎

一番、二番、三番 高田一番何十人組 この順 で三番まで宿札を掛けた


上洛中の日当や旅費などを新井宿にいるときにいただいた

一、*金五両三朱と三百三十五文 (現在の価値で52万3775円)

  

*御宛飼荒井宿金子屋宅(奈良屋)で宿泊しているあいだに受け取った。

*金五両三朱と三百三十五文 1両10万円で計算しています 『幕末武士の京都グルメ日記』参考 山村竜也氏著)

1両 10万円

1朱 6250円

1文 15円

*宛飼・・日当、旅費などの諸経費

現在の価値で52万3775円を宿で受取り、当時の藩士たちは大金を持って旅をしていたようです。


北国街道・牟礼宿(長野県上水内郡飯綱町)で大風雪だった

北国街道牟礼宿

同(12月)6日 大風雪だった。 牟礼宿 和泉屋孫兵衛方へ泊った。里数十里余り。

アダム
アダム

里数?

こばん店長
こばん店長

里数は道のりのことで1里が約4kmだよ~

アダム
アダム

荒井宿から牟礼宿まで40km!?

こばん店長
こばん店長

ところで、この牟礼宿 和泉屋孫兵衛さんの御子孫の方が当時あった旅篭と同じところに住んでいらっしゃいました~

アダム
アダム

なんと!

江戸時代には牟礼宿御本陣(現 飯綱町役場第一庁舎の前辺り)から證念寺までの北国街道沿いに旅籠が並んでいました。

こばん店長
こばん店長

お会いできて大変光栄でございました


北国街道・坂木宿(長野県埴科郡(はにしな)坂城町)で雪風だった

同(12月)7日 雪風だった。逆木宿(坂木宿) 平林与惣左衛門方へ泊った。里数十里半(42km)

アダム
アダム

牟礼宿から逆木宿まで42km

一、金一歩也(2万5千円)

これは宿泊のとき、勘定違いがあったので市右衛門より受け取った。

アダム
アダム

市右衛門さんって・・神岡さんだね


中山道・追分宿(長野県北佐久郡軽井沢町追分)旧軽のつるや旅館に宿泊した

同(12月)8日 天気 追分宿 鶴屋佐兵衛方へ泊り 里数十一里半(46km)

アダム
アダム

逆木宿から追分宿まで46km

追分宿 鶴屋佐兵衛 幕末の文久三年(1863年)12月8日、上洛のために京に向かっていた高田藩士が泊まった宿です。 現在でも旧軽井沢で「つるや旅館」として営業されています。

つるや旅館

  

江戸時代初期、中山道の休泊茶屋として創業。大正時代には、芥川龍之介・室生犀星・堀辰雄ら多くの文人が執筆を行った宿として知られています。


中山道・高崎宿(群馬県高崎市)の大黒屋に宿泊した

同(12月)9日 天気 高崎宿 大黒屋某方へ宿泊 里数十二里半(50km)

中山道にある高崎宿は現在の群馬県高崎市にあり、三国街道の分岐点にある宿場町(三国街道の起点で関東と越後を結ぶルート 高崎~三国峠~湯沢~至 越後寺泊宿)で賑わった宿場町だったようです。

アダム
アダム

追分宿から高崎宿まで50km 歩いたね~


中山道・熊谷宿(埼玉県熊谷市)に宿泊した

同(12月)10日 天気 熊谷宿 布施田屋方に宿泊 里数十里半六丁(42.7km)

こばん店長
こばん店長

1丁の距離は109mだから・・

アダム
アダム

高崎宿から熊谷宿まで約42.7km


中山道・蕨宿(埼玉県蕨市)に宿泊した

同(12月)11日 同断 (天気)蕨宿 三度屋方泊り 里数十弐里(48km)

アダム
アダム

熊谷宿から蕨宿まで48km


江戸(東京)の高田藩上屋敷に着いた

同(12月)12日 朝五ツ時過(朝8時ころ)江戸上屋敷長嶋御殿へ着いた。

アダム
アダム

上屋敷ってどの辺~?

こばん店長
こばん店長

東京パークタワー辺りらしいよ~

上屋敷 東京パークタワー周辺 東京都千代田区神田神保町1丁目103

同(12月)13日 快晴 朝五ツ時(朝 7時50分頃)より中屋敷へ参り、そのほか所々見物した。

アダム
アダム

中屋敷って今のどの辺?

こばん店長
こばん店長

旧岩崎邸庭園らしいよ~

 中屋敷 旧岩崎邸庭園 東京都台東区池之端1丁目3-45

浅草観世音堂を参詣した

同(12月)14日 九ツ時より(午前11時30分くらい)両国橋を通り浅草観世音堂を参詣した。

浅草雷門

  

浅草観世音堂 東京都台東区浅草2丁目3-1

こばん店長
こばん店長

やっぱり江戸といったらここ、っていうところに行ってるね~

アダム
アダム

今でも浅草行くもんね~

江戸表を出発!!旧東海道の旅へ

一、 金三両也(30万円)

これは御宛飼(旅費・経費)道中旅籠皆ことごとく受け取った。

同(12月)15日雪が少々降った。江戸表を出立

こばん店長
こばん店長

江戸表を出発、次は東海道の旅になります

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