伊庭八郎の生涯を簡単に解説!箱館戦争まで戦った男

伊庭八郎

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幕末の動乱期に片腕を失いながらも戦い続けた剣士がいました。その名は 伊庭八郎(いばはちろう)。

1844年生まれで1869年のわずか26歳(生まれた時点で1歳)で亡くなっています。彼は幕臣で江戸道場『心形刀流』剣術の名門の家に生まれました。幕臣として各地を転戦し、箱根で左腕に重傷を負った後も戦いを続け、最後は蝦夷地(現 北海道)の箱館で生涯を終えています。

わずか26歳で亡くなった伊庭八郎ですが、その生き様は幕末史に残るものです。今回は伊庭八郎とはどのような人物だったのか、生涯や箱館戦争、その最期までを分かりやすくご紹介します。

八郎が生きた幕末は、日本の政治や社会が大きく変化した時代です。外国から開国をせまられると『攘夷』といって論理的な政策論争よりも、暴力や暗殺といった力技で政治を動かそうとした側面もあった激動の時代でした。八郎は、そんな時代の中で幕臣として最期まで幕府を守ろうとした武士の一人です。

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どんな人物?

八郎は心形刀流剣術道場の跡継ぎで剣術の腕前はもちろんですが『容姿が優れた男』だったようです。やはり、歴史に名前が残るには『容姿が優れている』ことも条件なのでしょうか。悲劇的な最期を迎えた人物はかなりの割合で『男前』『美人』に限定されている気がします。

その八郎は剣術の腕前が優れていたので『伊庭の小天狗』と呼ばれていたようです。今でしたら絶対『呼ばないで!!』という異名を持っていました。

話は飛びましたが、容姿端麗だったようです。で、その八郎ですが幕府の武術訓練機関である『講武所剣槍方』として1864年の徳川家茂上洛時に将軍警護として京都に滞在しています。


将軍・徳川家茂の警護を務める

1864年、八郎は第14代将軍・徳川家茂の上洛に随行しました。

このころの京都は、幕府と攘夷派との政治的な対立が強まっていた時期で、将軍が京都に滞在している間の警備は幕初のころとは違い暗殺や天誅といった過激なテロ行為が横行していました。

そんな将軍の身辺を守る役目を担う武士たちの一員として京都に入りました。

甘いものが大好きだった

その八郎は警護の仕事を務める一方で、京都の寺社や各所を訪れて、その様子を日記に残しています。そこに書かれているのは『剣豪』と知られている八郎の姿ではなく、京都観光を楽しむ普通の若者のほんわかとした日記となっています。

同じ時代の同じ時期に京都に滞在していた高田藩士が書いた日記も残っています。

隻腕の武士といった勇ましい感じでは全くなく『汁粉食べた』とか『鰻を食べた』とか『風呂に入った』とか神社仏閣への参詣などへの関心もうかがえます。甘いものはとくに『おしるこ』が大好きだったようです。

お汁粉

それが山村竜也氏の書いた『幕末武士の京都グルメ日記』で伊庭八郎の日々の記録を読むことができます。


幕府方として戦い抜いた

『伊庭八郎征西日記』の京都グルメ日記を書いただけならここまで歴史に名前が残ることはなかったと思いますが、彼はその後『伊庭の小天狗』の名前の通り剣士として戦い抜くことになります。

14代将軍の家茂が大坂城で急死すると最後の将軍徳川慶喜が就任します。

1868年、鳥羽・伏見の戦いをきっかけに戊辰戦争が始まり、徳川幕府が崩壊へと向かうなか、八郎は旧幕府軍として新政府軍との戦いに身を投じました。

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徳川最後の将軍であった慶喜は戦いが始まると大坂から江戸に帰り謹慎してしまうのですが、幕臣であった伊庭八郎にとってこの戦いは単なる軍事衝突ではありません。自分たちが仕えてきた幕府と、これまで信じてきたものを守り抜く戦いでもあったのです。

伊庭八郎の生涯を語るうえで欠かせないのが、戊辰戦争中の箱根の戦いです。

新政府軍と箱根山崎の戦いでは左腕を失う重傷を負いながらも戦い続けました。

剣を振るうための大切な腕を失いながらも武士としての生き方を貫き通しました。

新政府軍が優勢になるなか、旧幕府軍の一部は抵抗を続け、北へと戦いの場を移していきました。

1869年、旧幕府軍は蝦夷地で新政府軍と戦いました。これが箱館戦争です。八郎もまた蝦夷地へ渡った旧幕府軍に合流し、箱館戦争に参加しています。

この激しい戦闘で胸部に銃弾を受け倒れることになります。その後五稜郭に運ばれ治療を受けますが、5月12日に箱館で亡くなりました。

おしるこが多く登場するグルメ日記を書いていた若者が左腕を失っても吐血しても戦い続けた生涯を送るとは考えられないのですが、旧幕府側の武士たちの意地や覚悟を伝えているようでもあります。

伊庭八郎は、剣術の名門に生まれ、幕臣として活躍し、戊辰戦争から箱館戦争まで旧幕府軍として最後まで戦い続けた人物です。箱根で左腕に重傷を負いながらも戦いを続け、最後は箱館で26歳の生涯を終えました。

最後まで幕臣としての信念を貫こうとした人物でした。