紫式部とはどんな人?

    

日本最古の長編小説*「源氏物語」を書いた才女といわれています。夫の宣孝が亡くなると、気を紛らわすために源氏物語を書き始めます。

その後、藤原道長の娘で一条天皇の中宮彰子宮仕えします。

源氏物語  

54帖からなる物語は、美しく才能のある光源氏主人公として登場し、華やかな生活や多数の女性との恋愛模様、宮廷内での出来事、その中でも現代と変わらない複雑な人間関係などが細かく書かれた作品で、1000年以上経っても色褪せることのない物語です。

  


『源氏物語』の桐壺帝と桐壺更衣のモデルとは?!

  

源氏物語の中に出てくる光源氏の母は身分が低く更衣(桐壺更衣)でした。身分の高くない桐壺更衣桐壺帝の寵愛を一身に受けたため他の女性たちのうらみをかってしまい病がちになってしまいます。そして桐壺更衣は光源氏を生んだあとで亡くなってしまい桐壺帝は嘆き悲しみます。その物語の中に登場する桐壺帝と桐壺更衣にはモデルがいたといわれていて・・・・。

  

  


清少納言ってどんな人?随筆枕草子も簡単に紹介

   

『枕草子』この春はあけぼの~・・・は、教科書にも載っていましたが、このように美しい自然の情景を書いたものだけではないということをご存じでしたか?

清少納言という人は・・お坊さんが美男子ならば説教をありがたく聞いて集中することができるけど、そうでない場合集中なんかできないわ~こんな本音を書いたら罰があたりそうだからやめておこう・・・歳をとると仏様の罰が気になるの(清少納言談)と、思っていることを素直に書いてしまう人でした。

しかし清少納言は『枕草子』を人に見せるつもりで書いたものではなく、思いがけずに世に出てしまったといっています。

源経房が勝手に持ち出したことから世に広まってしまったので、にくきもの(イライラするもの)、うつくしきもの(かわいらしいもの)、すさまじきもの(残念なもの)など思ったことが素直に書いてあり・・・・。

  

  


中宮定子と彰子に仕えた清少納言と紫式部は政治的にライバル関係だった?!

  

藤原氏は自分の娘を帝の正妃にし皇子を産ませて、のちにその皇子が即位すると帝の祖父となり摂政、関白の地位を手に入れて政治の実権を握っていました。これを摂関政治といい、藤原氏は摂関家とよばれていました。

このような時代でしたので、政治的な思惑から天皇を娘のいる後宮に通わせるために有能な才女とよばれる女房(宮仕えをしてお世話をする女性)をたくさん雇い華やかなサロンをつくりました。

表向きは華やかにみえる宮廷ですが、優秀な女房がいて華やかなサロンには帝が通ってくる回数も増え、次期東宮(皇太子)が生まれる可能性が高まります。清少納言と紫式部は実際には会ったことはないといわれていますが、立場としては政治的にライバルの関係で・・・・。

  

  


平安時代の美人の条件はいろいろあって大変だった?!

   

平安時代の美人の条件は、顔はおしろいを塗って真っ白、丸顔・丸いあごが良いとされ、少々小太り、鼻は小さくてかぎ鼻、目は切れ長で口はおちょぼ口、髪は黒くて長いほど美人とされていました。

しかし、それだけでは美人とはいわれませんでした。平安時代の美人はいろいろな条件があるようで・・・・。