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新潟県の出雲崎には『出雲崎天領の里 佐渡金山』という歴史と文化が詰まったスポットがあります。この地はかつて佐渡の金を江戸へ運ぶための重要な拠点だった歴史を持ち、黄金街道として知られる道があります。ここでは出雲崎宿の歴史に触れながら、多くの人が往来したその『金の道』にまつわる出雲崎の魅力をお届けします。
出雲崎宿は江戸時代における金銀の重要な輸送ルートで、佐渡金山で採掘された金は相川から小木の港へ集められ、その後船で出雲崎へと運ばれ北国街道の柏崎、高田、信濃追分を経て中山道、高崎、江戸城御金蔵へと運ばれ、金座で貨幣などに鋳造されました。この黄金街道は、佐渡から海路で出雲崎~高田~信濃追分まで(現在の国道18号線)を北国街道、追分で中山道と合流し、その中山道を通り江戸までの道のことをいいます。
出雲崎は江戸時代の初期より佐渡の金・銀の荷揚げ港であり、佐渡奉行、巡見使の渡海港であり、また、北前船の発着港であったことから大変活気のあった町でした。
江戸までの距離は約400km、1日20kmのゆっくりとしたペースで約20日(後に12日ほど)かけて運ばれたようです。
金銀の採掘が盛んな江戸前期頃には年に2~3回輸送されましたが、中期以降の産出が減少した頃になると年に1回、海が穏やかな季節の夏に輸送されました
出雲崎天領の里には当時の文化や歴史を感じさせる『時代館』があります。
出雲崎代官所 1616年出雲崎は江戸幕府の直接支配する天領となり、代官所が置かれました。こちらの道の駅に再現されているので見学することができます。
出雲崎代官所跡 住所 新潟県出雲崎町大字尼瀬729-1
時代館の中に御奉行船の模型が展示されています。佐渡の奉行所は海上の交通手段として奉行船を持っており金・銀・小判を運んだり将軍の使いである巡見使を乗せたりしました。
この船は現在「幻の船」といわれていて、船の形は完璧には分からないらしいのですが、資料から読み解いて分かったことは、海での戦いに備えたもので「小早」という大型船だったようです。この制作には1年余りかかり、展示スペースの関係で実物の3分の2の大きさとなっているそうですが、建物の中でみると迫力ある船を見ることができます。
巡見使とは? 巡見使は将軍の代理として幕府の支配地や各大名の領地を見回るためにやってきました。一人の巡見使に御供が50人ほどもいたようで、迎える方は粗相がないように大変気を使ったようです。
江戸時代の初期は海路に海賊も出没していたそうで、佐渡奉行所が最初に持っていた御用船は櫓の数が80丁もある大型船でしたが、次第に船の大きさも中くらいになっていったそうです。
約40キロの船旅をした金・銀・小判は海が穏やかな夏に出雲崎に運ばれてきました。船が着くと金銀が入った箱(御金箱)を一つ一つ数を調べ御金蔵に納められ、翌朝再び中身を確認してから役人に引き継がれ大勢の見張りのもと100頭~200頭の馬の背に乗せて北国街道、中山道を通り江戸城の御金蔵へと運ばれて行きます。
江戸時代の小判一両の価値はおよそ10万円ほどだったといわれ(時代により変動)、千両箱は1億円になり20キロの重さだったようです。
天領の里には面白いお土産が揃っているので、訪れた際にはお店をちょっと覗いてみてはいかがでしょうか。今回ブログ主が購入したのは、「天領せんべい」と「天領まんじゅう」です。天領せんべいはパリッとした食感で、おまんじゅうは、甘さが控えめながらもあんこがたっぷり詰まっていました。こちらの物産館は観光中にほっと一息つくときや、お土産を買いたいときにオススメです。
住所
新潟県出雲崎町大字尼瀬6-57
電話番号
0258-78-4000
営業時間
物産館 9時~17時
レストラン『陣や』
11時30分~15時 L.o.14時30分
時代館
9時~17時(3月下旬から11月)・入館は16時30分まで
10時~16時(12月から3月上旬)・入館は15時30分まで
休館日
11月~3月 水曜日
4月~10月 毎月第一水曜日
5月、8月は無休
年末年始
以上 出雲崎宿 天領の里編でした