喜多川歌麿という浮世絵師、その生涯を簡単に紹介

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喜多川歌麿とは?

今回は「浮世絵師 喜多川歌麿とは?」というテーマでお話していきます。

  

江戸時代の浮世絵師として名を馳せた歌麿は特に美人画において高く評価されており、いまでも多くのファンに愛されています。

  

しかし、歌麿の出身地や、家族のことなど詳しいことが分からない実は謎が多い人物です。そんなミステリアスな歌麿の生涯をゆる~く紹介します。

  

アダム
アダム

謎だらけでどんな人か分からないね~

  

こばん店長
こばん店長

うん 分からない

    

アダム
アダム

・・・

  

喜多川歌麿の出生地・生まれたのはいつ?

歌麿は1753年くらいに江戸か川越か京都で(江戸が有力)生まれました。

  

アダム
アダム

江戸か川越か京都のうちのどこかだったのね

  

親も兄弟も妻子の情報も分からないという謎多き人物です。

  

歌麿が生まれた時代は、江戸時代中期で、町人文化が栄えていたころです。

  

この活気ある時代背景とその後に起こる寛政の改革も歌麿の作品が世に多く出る役割を果たしたといわれています。

  

歌麿、狩野派の画家 鳥山石燕(せきえん)の弟子となる

歌麿は幼少期に画家の鳥山石燕のもとで絵を学び、そのころは北川豊章と名乗って挿絵を描いていました。歌麿にとって生涯ただ一人の師といわれた人物です。

  

喜多川歌麿と江戸の出版王 蔦屋重三郎との出会い

1781年 蔦屋重三郎の耕書堂から発売となった黄表紙「身貌大通神略縁起」(みなりだいつうじんりゃくえんぎ)には初めて歌麿の名前で挿絵を描いています。

  

重三郎は歌麿の才能を見抜き自分の家に居候をさせて支援しました。そして耕書堂のお抱え絵師となった歌麿が多くの作品を世に送り出すという新たな道を開くことにつながったのです。

  

その後、重三郎のもとで「潮干のつと」・「百千鳥狂歌合」などの狂歌絵本を発表し続けこれが大ヒットとなります。

  

寛政の改革により狂歌絵本が出版できず

将軍徳川家治が亡くなると、重商主義政策をすすめた老中 田沼意次が失脚し、次に幕府の老中首座となった松平定信の「寛政の改革」と呼ばれる厳しい統制が行われるようになりました。

  

そして耕書堂の人気作家であった山東京伝が出した作品が洒落本禁止令に触れてしまい手鎖50日の刑に処せられると江戸の出版業界全体が委縮して勢いが急速に衰え始めます。

重三郎は浮世絵に活路を見出し歌麿に「美人画」の制作を依頼したところ、これが大ヒットとなります。それは「美人大首絵」と呼ばれるもので上半身を大きく描き、その魅力は女性の柔らかい雰囲気を描き、見事な色彩や細部にわたる緻密な描写、さらにはそのポーズや表情にあるといわれています。

  

歌麿は女性の表情や感情を巧みにキャッチして独特の雰囲気を醸し出すことができたといわれ大人気絵師となります。とくに有名なのが婦女人相十品の「ポッピンを吹く娘」、「寛政三美人」などで、歌麿の人気を不動のものにしました。

  

歌麿、幕府から罰せられてしまい54歳で亡くなる

いろいろな手段で幕府からの出版統制を逃れていましたが、ついに手鎖50日の刑に処せられてしまいます。

  

それは「太閤五妻洛東游観之図」(たいこうごさいらくとうゆうかんのず)という豊臣秀吉の醍醐の花見を描いたもので、徳川家康の敵であった豊臣を題材にしたことで幕府から罰せられてしまうことになります。

  

おそらくこの絵がきっかけとなりましたが、いままで歌麿が出版してきた吉原の遊女たちを描いた美人画などの他、幕府の統制をかいくぐろうとする作品を出版する姿勢が風紀を乱すとの理由で幕府から処罰されたのではないかといわれています。

  

そしてこの50日間という長い拘束によって歌麿の身体と心も弱まり、その2年後の1806年に54歳で亡くなってしまいました。

  

また、こんな話もあります。そんな弱り切った歌麿の姿を見て、生きているうちに描いてほしいといって多くの仕事の依頼がくるようになり、働き過ぎて過労で亡くなったのでは?との説もあります。


江戸時代の浮世絵師として有名になった背景

歌麿が江戸時代の浮世絵師として有名になる背景には、時代の文化的興隆と歌麿自身の絵の才能、また、出版王と呼ばれる蔦屋重三郎との協力が歌麿の名声を確立する大きな要素となっているといわれています。

  

この時代は、商業が発展し、町人文化が栄えた時代で、浮世絵はその象徴的な表現方法の一つでした。

  

特に歌麿は美人画の特化によって人気を集め、その作品は多くの人に広まっていくことになりました。

  

歌麿の浮世絵に登場する女性たちの表情やポーズ、色使いの美しさ、そして絵から感情が伝わってくるような描き方に惹かれ、その人気は日本だけにとどまらず海外にも多くのファンがおり、その名を歴史に刻むこととなりました。

  

歌麿の浮世絵は今でも多くの人に魅力を感じさせ、時代を超えて愛され続けています。

  

アダム
アダム

歌麿さんは、とっても多くのファンがいる浮世絵師、ということだね

  

こばん店長
こばん店長

ざっくりいうとそんな感じ

  

こばん店長
こばん店長

以上ゆる~い 喜多川歌麿さんについての紹介でした