高田藩の歴代藩主在封期間と災害年表

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松平家~榊原家

開府  

 

1614年   松平忠輝 福島城(福島在城4年)から移り高田城開府

  

こばん店長
こばん店長

高田に新城を築いて、城下も移転、整備に着手しているね

  

    

アダム
アダム

でも、大坂夏の陣で進軍を遅らせて家康の怒りを買うんだよね

  

1616年   松平忠輝改易→流罪

  

1616年   藩主 酒井家次

    

1618年   藩主 松平忠昌

   

1624年   藩主 松平光長

 

こばん店長
こばん店長

光長さんの母、勝子(高田姫)は2代将軍秀忠の娘なんだ

  

  

アダム
アダム

新田開墾など殖産興業政策を進めて高田の最盛期と称されるほど繁栄していた時代だったんだけど・・。お家騒動が起こるんだよね。

    

1681年   松平光長改易→領地没収→他藩お預け

   

1681年   勤番時代 城地受取3大名から勤番大名達に引き継ぎ、1年交代で城郭・武家屋敷と領内の管理整備を勤めた時代

  

1685年   藩主 稲葉正通

  

1701年   藩主 戸田忠真 

  

1710年   藩主 松平定重

1712年   藩主 松平定逵 家督相続

1718年   藩主 松平定輝 家督相続

1725年   藩主 松平定儀 家督相続

1727年   藩主 松平定賢 家督相続

  

1741年   藩主 榊原政永

  

こばん店長
こばん店長

この時代は大雪(4.8m)、大雨(稲田橋一部崩、家屋多数流失)、大風雨(関川、矢代川反乱、強風による倒壊家屋多数、高田築城以来最大の水害)、旱ばつ、最悪の大凶作、天明の飢饉、宝暦の大地震、大火といった災害の多い時代だった。

  

   

アダム
アダム

資料を見ただけで大変な時代だよね。藩、領民がこぞって窮民救済をしたよ。だけどそのあと、諸国から飢餓民が大勢流入して大変だったみたい。。

    

1789年   藩主 榊原政敦 家督相続

  

1810年   藩主 榊原政令 家督相続

  

こばん店長
こばん店長

榊原家中興の祖といわれた殿様だね。

    

アダム
アダム

身分を問わず有能な人材を見出し要職に就けたり、藩政改革をしたんだね。その他にも質素倹約、開拓開墾、学問奨励、兵備充実、赤倉温泉開発などなど(政令公の実績だけではないとする説もあり)

 

1827年   藩主 榊原政養 家督相続

  

1839年   藩主 榊原政愛 家督相続

  

1861年   藩主 榊原政敬

  

こばん店長
こばん店長

高田藩最後の殿様だよ。

   

    

アダム
アダム

将軍家茂に供奉して上洛、そのあと、長州再征に従軍、川浦戦争、戊辰戦争、会津藩降伏人1742名預かる、版籍奉還、廃藩置県などなど激動の時代の殿様だったんだね。

  


  

災害年表

  

高田藩以外の地震は黄色の下線有り

 

高田城址公園内に高田藩歴史ボードがあります。

  

1614年 開府

  

  

1631年 大凶作

  

  

浅間山噴火 江戸など広範囲に降灰

 

    

1638年 松前内浦嶽噴火・津波 700人余の方が亡くなりました。

  

  

1646年 江戸大地震

  

   

1662年 京畿大地震

  

  

日向大地震 津波

  

  

1665年 寛文地震 マグニチュード6.3 高田城下壊滅的な被害 4.2mの積雪もあり、1千500人余りの方が亡くなりました。(倒壊・損壊・焼失家屋多数)

    

  

小栗美作は地震の後、急ぎ金蔵・米蔵を開けて被災領民の救済を独断で決行しました。

  

  

こばん店長
こばん店長

この地震で筆頭家老の小栗正高、次席家老の荻田隼人など重臣が亡くなってしまったんだ      

  

  

アダム
アダム

松平光長さん時代ね

 

1670年 越後新潟県西蒲原地震

  

  

1673年 大凶作 貧窮民続出

    

  

1674年 大凶作 飢餓民続出

    

  

1676年 延宝の大火

  

  

1703年 南関東大地震(相模・案房・上総 津波被害)小田原城大破

  

  

1707年 東海・南海大地震(宝永地震) 3千人以上の方が亡くなりました。

  

  

1707年 富士山噴火 武蔵・相模・駿河など被害

  

  

1731年 武家屋敷大火

    

  

1732年 大雪 4m 

  

  

1736年 暴風雨  関川、保倉川など各所河川氾濫 家屋流失等

  

  

1741年 大雪 4.5m

  

  

1742年 大雨 稲田橋一部崩落

  

  

1744年 大雪

  

  

1747年 大風雨 高田築城以来最大の水害 関川・矢代川など各所河川氾濫 家屋流失等

  

  

1749年 大雪 4.8m

  

  

1750年 旱ばつ 凶作

  

  

1751年 大雪 4m以上 宝暦の地震 マグニチュード7.4 

  

  

壊滅的な被害 領内あわせて1千500人を超える人が亡くなりました。(全壊・半壊家屋多数) 余震半年継続(マグニチュード6クラス)

   

  

アダム
アダム

余震が半年も続いたんだね

  

1752年 大雪 凶作

    

  

1753年 大火

    

  

1760年 寺町大火

    

  

1766年 大雨 稲田橋損壊

  

  

弘前大地震

    

  

1777年 米価高騰 窮民激増したため藩は救助米給付

  

  

三原山噴火

  

  

1779年 桜島大噴火(安永大噴火) かなり多くの方が亡くなりました。

    

  

1781年 大雨

  

  

1782年 天明の飢饉 長雨 凶作 

    

  

1783年 大雪 冷害 凶作 米価高騰 貧窮民激増

   

  

浅間山大噴火 熱泥流で多くの方が亡くなりました。降灰の影響(奥羽・関東)

    

  

1785年 大雨 関川、矢代川、青田川氾濫 流出橋多数

   

  

1786年 最悪の大凶作 物価暴騰 難民続出 藩は救助米を給付

    

  

1787年 藩、領民が窮民救済をして餓死者僅少 その後諸国から飢餓民が大量に流入したため飢餓民が続出した

  

  

179年 信濃松本地震

  

 

肥前雲仙岳噴火

  

  

1791年 大雨、洪水 藩 貧窮民に救助米給付

  

   

1797年 大火

  

  

1802年 高田城全焼(城内から出火)

  

  

1804年 出羽大地震 津波

  

  

1810年

  

こばん店長
こばん店長

政令公が家督相続しました

  

1814年 大雪 4.5m

  

  

阿蘇山噴火

    

  

1816年 対面所(現榊神社)火事 長屋火事(現大手町)

  

   

1825年 大火

  

  

1827年 越後地震(三条地震)

    

  

1830年 長雨 冷害

  

  

1830年 京都大地震

  

  

1833年 美濃(岐阜県)大垣大地震

  

  

出羽・越後大地震 津波

  

  

1834年 大雪 4.2m

  

  

  

1835年 仙台大地震

  

  

1836年 大雨 

    

  

1842年 大雪 4.5m

   

  

1843年 小田原大地震 津波

  

  

1845年 大旱ばつ 凶作

  

  

1847年 弘化の大地震(善光寺地震) マグニチュード7.4

  

  

飛騨~越後まで亡くなった方が8千人以上でした。

  

  

このときに善光寺では7年に1度の御開帳だったために参詣客が大勢いました。その後、倒壊建物、火災などで参詣客の中で1割の方しか助からなかったといわれています。

    

  

こばん店長
こばん店長

長野の善光寺の御開帳では7年に1度の御開帳で大混雑していたんだ・・・・

      

  

1852年 大風雨 多数の橋損壊 家屋流出多数

  

  

1853年 関東大地震(小田原地震)

  

  

1855年 江戸大地震(安政大地震) 全壊・半壊・損壊家屋多数 4千人余りの方が亡くなりました。

  

  

1856年 大雨 稲田橋一部崩落

  

   

1858年 飛騨地震

  

  

1864年 大火 

      大雨 稲田橋半分崩落 関川、矢代川流域家屋損壊

  

  

1866年 大火 低温 長雨 凶作 物価高騰

  

  

1869年 大凶作 貧窮民増加 米価、物価高高騰

   

こばん店長
こばん店長

毎年のように自然災害が起きていたんだね

      

アダム
アダム

高田藩の財政も窮乏するわけだね・・・

    

こばん店長
こばん店長

以上 歴代高田藩主と高田藩(高田藩以外)の災害年表でした