伝説から探る隠された女神奴奈川姫と翡翠の謎とは?!

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こばん店長
こばん店長

はじめに、このブログはゆる~くゆる~く歴史を考察するものです

   

アダム
アダム

今さら・・・

   

奴奈川姫・勾玉の噴水

新潟県糸魚川市大町2丁目11-1

    

こちらの奴奈川姫の像はJR糸魚川駅から海の方角へまっすぐに進んでくると5分という場所にあり、ご覧のとおり噴水は勾玉の形になっています。

    

奴奈川姫とはどんな女神様?

  

この奴奈川姫(ぬながわひめ)については御存じないという方も多いと思いますが、高志国を統治していたといわれている女神で祭祀などを行っていたと考えられています。

以前の記事で「水色のオーブが現れる神社?!居多神社」編でも書きましたが、古事記に登場する奴奈川姫という神様は高志国一帯(福井県から新潟県)を治めていたといわれ、その高志国の中の新潟県糸魚川地方は翡翠の産地として有名なところです。

大国主命の時代はその土地を支配するために妻問婚といった形で自分の勢力下にしようとしたと考えられており、その翡翠を求めて大国主命(出雲大社御祭神)が奴奈川姫のところにやってきたといわれています。 

奴奈川姫と大国主命は結婚して岩殿山明静院で生活しており 建御名方命(諏訪大社御祭神)がお生まれになったという伝承が残されています。

また、島根県では高志国から来た人達が治水を行ったという伝承があり、高志という地名もあったそうです。このことからも出雲国と高志国は密接に繋がっていたのだと考えられます。  


父神母神

  

氷宇智主神(ひうちのぬしのかみ)と玖侶比売神(くろひめのかみ 別名黒姫)から三柱の女神がお生まれになったといわれ、初めに 富岐阿宣比売命(ふきあげひめのみこと)、次に奴奈川姫命、三人目が伊摩志美豆比売命(いましみずひめのみこと)がお産まれになりました。(鈴木孝氏著 隠れた女神考より)

富岐阿宣比売命

  

大地豊穣 国土安泰 灌漑の神

         

奴奈川姫命

  

海上安全 漁業 鉱山 縁結び 安産の神

  

伊摩志美豆比売命

  

機織り 薬草 雨乞い 山火事鎮護の神

    

母神である玖侶比売神(くろひめのかみ 別名黒姫)ですが、この黒姫と名前が付いている山が奴奈川姫が生活をしていたとされる糸魚川市周辺に3つあります。

  

出雲族に攻められた?!

長野県北部の黒姫、新潟県糸魚川市にある黒姫、もう一つが新潟県柏崎にある黒姫です。この糸魚川市黒姫(1222m)で奴奈川姫は機を織っていたという伝承があります。

  

青海町黒姫山の東麓に福来口(ふくがくち)という大鍾乳洞がある。

  

ここに大昔、奴奈川姫が住んでおり、機を織っては、洞穴から流れ出る川でその布をさらした。それでこの川を布川(ぬのかわ)という。

糸魚川市ホームページ 奴奈川姫の伝説より

  

この奴奈川姫にまつわる伝承というのが糸魚川市周辺にたくさん残っており、奴奈川姫が産まれた場所、生活した場所、出産した場所の他、大国主命とともに出雲に行った話、また、大国主命と不仲になってしまい高志国に戻ってきて自害してしまう話、出雲国から攻められたなど太古の昔の話ですが、江戸時代の人間よりも伝承が多い不思議な女神様で、それだけ強大な力をもっていたのではないかといえると思います。

   

青海町の福来口(ふくがくち)に住んで居られた奴奈川姫は、出雲族に攻められ、夜しめ川(今の姫川)を渡り大野村に、秘蔵の鏡を埋めてかくされた

糸魚川市ホームページ 奴奈川姫の伝説より

   

なぜ出雲から攻められるのか

 

この伝承で不思議だったのは、なぜ高志国が出雲から攻められてしまうのか?ということです。 

奴奈川姫は大国主命と結婚し建御名方命が生まれており、出雲国と高志国の間は婚姻という名の同盟があったと思うのです。 

つまり、戦いを避けて融合するといった形式をとり、翡翠も手に入れたはずの出雲が攻めてきたといった伝承があるのはなぜなのでしょうか?

  

高志国に帰ってきた

大国主命と共に能登へ渡らせたまひしが、如何なる故にや再び海を渡り給ひて、ただ御一人此地に帰らせたまひ いたく悲しみ嘆かせたまひし果てに、此池のほとりの葦原に御身を隠させ給ひて再び出でたまはざりしとなり。

    

姫川の上流なる松川に姫ヶ淵と名づくるところあり、之れ奴奈川姫命の身を投げてかくせたまへるところなりと 

糸魚川市ホームページ 奴奈川姫の伝説より

  

アダム
アダム

隠された女神というのは・・・・

  

こばん店長
こばん店長

隠れたのか・・・隠されたのか・・・・。

      


上記の伝承によると、大国主と奴奈川姫はともに出雲に向かいましたが、途中で喧嘩をしたのか、奴奈川姫が一人で帰ってきて、その後御身を隠された・・とあります。

奴奈川姫命と大国主命と建御名方命は高志国(岩殿山明静院)で生活していて、建御名方命は成人するまで岩殿山で生活をしていたとの伝承も残されています。

まず、大国主命とともに高志国の女王であり祭祀を行う奴奈川姫がなぜ高志国から出て出雲に行ってしまったのかという点です。

祭祀という役割を担っていたとするならば、自然を司る神々を鎮めるための祈りは欠かせないであろうし、流行り病や自然災害が起きたときに古代の人たちはその土地の祭祀を司る女神に祈りを捧げてもらい災いを取り除いてもらうだろうと思うのです。

その土地の神々とは違う地で祭祀を司る立場の奴奈川姫が出雲国に行って生活をするとは考えにくいように思うのですが・・・。何よりも大国主命の正妻の須勢理毘売命は嫉妬の激しい女性であったといわれ、八上比売(ヤガミヒメ)も大国主命の子を生んでいますが、嫉妬が恐くて実家に戻ってしまったほどだといわれています。また、奴奈川姫と結婚したことにも激しい嫉妬をしたらしく、大国主命が逃げ出すほどだったともいわれています。

そんな嫉妬心の激しい女性がいる場所に連れて帰るものなのでしょうか。

しかも縄文時代の結婚のスタイルは妻問婚というものが一般的といわれており、妻と夫は離れて生活をして定期的に妻と子供に会いに来るといったものだったようです。この不思議な伝承はなんなのでしょうか。     

アダム
アダム

じゃあ大国主命と仲が悪くなって帰ってきたという伝承は?

  

こばん店長
こばん店長

謎です。 

  

アダム
アダム

そりゃそうだ・・

    

こばん店長
こばん店長

出雲国と高志国が戦う理由はなんだったんだろう?

  

アダム
アダム

それだよね。息子の建御名方命さんがいるのに攻めてくるかな~?

    

こばん店長
こばん店長

もしくは、出雲国の政権が変わってしまったとかね・・・・

  

こばん店長
こばん店長

翡翠の加工技術を無理やり聞き出そうとして喧嘩になったとかいろいろな説があるんだけど・・・・

  

アダム
アダム

・・・

    


奴奈川姫命が治めていた地になぜか天津神社

  

先ほども述べましたが、戦いを避けて融合する形式をとったのに出雲と戦ったというのが謎です。   

そもそも妻問婚という形で出雲国と高志国は友好関係にあり翡翠も手に入ったはずなのに出雲国と高志国が戦う理由はなんでしょうか。 

  

こちらが糸魚川市にある天津神社拝殿です。

  

  

拝殿の裏側の左側に奴奈川神社があり御祭神は奴奈川姫命・大国主命です。

   

  

その右側に天津神社があります。御祭神は天津彦々火瓊々杵尊(天照大神の孫)天児屋根命(中臣氏の祖神)・太玉命(忌部氏の祖神)です。

天津神社 奴奈川神社

  

住所 新潟県糸魚川市一の宮1-3-34

  


建御名方命と戦ったのは・・

  

天照大神が出雲の国で大国主命に国譲りを迫り、大国主命の息子である建御名方命が最後まで抵抗したために力比べ(戦って)をして、*タケミカヅチノカミに敗れてしまいます。

  

  

  

建御名方命が諏訪の地まで逃げてそこから出ないという約束で許されたとされています。  

  

  

  

*タケミカヅチノカミ 雷・地震の神とされ、大ナマズの頭を踏みつけて地震が起こるのを防いでいるといわれています。(地震が起こるのは大ナマズが暴れているからだとされていたためです)

  

大国主命の時代、出雲国では国譲りと呼ばれる政変が起きており、建御名方命は諏訪へ逃れたという伝承があります。

このとき、建御名方命が戦っていたのは天照大神の使者であったタケミカヅチノミコトです。大国主命もタケミカヅチノミコトに力では勝てず国譲りを受け入れています。

出雲国が同盟のような形を取っている高志国に攻め入るということは考えにくく、本当に出雲国が高志国に攻めて来たのだとしたら、大きな政変があった後ではないのでしょうか。  

すなわち、実際に高志国に出雲国が攻めて来たのだとしたら、大国主命ではなく、大国主命に変わって出雲(政権)を手に入れた者であった可能性はないでしょうか。

先にも述べましたが、糸魚川の地域は翡翠の産地として知られており、大国主命は翡翠を求めて高志国(糸魚川市)にやってきました。

そして婚姻といった形で緊密に出雲と高志国は繋がっていたと考えられ、翡翠なども手に入るようになったはずです。その出雲の地に大国主命がいなくなった場合、翡翠や、翡翠の加工技術などは奴奈川姫によって隠された可能性があります。実際に奈良時代から翡翠は忽然と姿を消してしまい最近まで翡翠が日本で採取されていたという事実を知らなかったのです。

勾玉は古代の人の装飾品として使用していたとされ、祭祀に使用したりもしていたようです。

糸魚川市の長者ヶ原遺跡などから翡翠製の勾玉や翡翠を加工していたとされるものも見つかっています。  

この翡翠は大変貴重なもので他の宝石よりも価値が高く珍重されました。この石には生命の再生の力があると信じられていたそうです。  

当時の権力者たちはこの翡翠のために高志国に攻めて来たとしても不思議ではありません。 

この場合は大国主命のように妻問いという形で平和的に融合するという形ではなく、武力によって治めるという形を取ったために「出雲と戦った」といった伝承が残されているのではないでしょうか。   

糸魚川市天津神社・奴奈川神社では毎年4月10日、4月11日に行われる糸魚川けんか祭りと天津神社舞楽があります。 

この祭りでは、最後の演目に『陵王の舞』が舞われます。これは、昔中国の蘭陵王が恐ろしい面をつけて敵を打ち破った様子を表したものだそうで、太陽が沈むころに舞われるとのことです。 

また、能生白山神社の春季大祭は毎年4月24日に行われ、こちらも夕日が沈むころに舞われる『陵王の舞』があります。この舞には日を招く所作があり『日招きの舞』ともいわれています。    

こちらの神社の御祭神も奴奈川姫命です。  

能生白山神社は海からほど近い場所にあり、海風を感じながら、幻想的で幽玄な舞の世界を味わい奴奈川姫の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

  

能生白山神社

  

住所 新潟県糸魚川市能生7239

  

御祭神 奴奈川姫命 伊佐奈岐命 大国主命

  

能生白山神社についてはこちらから